「松尾あきひろ」は国会で働かなければならない存在であり、その為には彼を当選させなければならない


2022年7月9日、『第26回参議院議員通常選挙』の選挙戦最終日、私は4年ぶりに中野駅前にいた。「松尾あきひろ」にはなんとしても国会で働いてもらわねばならない、その一心で私は全力で「松尾あきひろ」という名前を連呼し、選挙ビラを全力で配っていた。

前日に恐ろしい事件が起きてしまった。それでも、政治は前に進まなければならない。自分が担当すべき選挙活動はすでに終了していた、それでも今日、令和4年の参議院議員選挙最終日に動かないわけにはいかなかった。午前中に仕事を済ませ、お昼過ぎまで家の仕事、そして私は吉祥寺に向かった。

コピス吉祥寺前、いつもならショッピングでロフトやジュンク堂に向かっていたあの建物の前に「松尾あきひろ」はいた。微妙なタイミングだったので、とりあえず彼の話に耳を傾ける。選挙戦最終日、まさに全てが揃った状態での演説だ。話している内容は最初から全くぶれていない。しかし、選挙戦を戦う、そう有権者に対して演説する立場として「松尾あきひろ」は明らかにパワフルになっていた。そして力強さに加え、説得力までもが増している。長い参院選の選挙戦が「松尾あきひろ」という存在をさらに進化させたことを、純粋な聴衆として知ることになった。

次の荻窪からはスタッフとして街頭演説に参加。荻窪はほとんど来たことがない場所、でも、「松尾あきひろ」の出身地である杉並区ということもあり、徐々に観衆が増え始める。いや、増え始めるとかそんなレベルじゃなかった、さっきまで壁際に待ち合わせの人が何人かいるだけだった場所が、完全に熱気を帯びていた。

「松尾あきひろ」の選挙戦、世田谷区内での活動をお手伝いしていたけど、有権者の皆さんの関心は明らかに違っていた。『投票したよ!』そんな言葉をこんなにもらったのは初めてだ。確実に動き始めている、主要メディアの情勢調査で当選圏内に入ってきたことを実感する。

演説はすごい盛り上がりだった、長妻さんが応援に入っていた効果はもちろんあるけど、一番盛り上がったのは「松尾あきひろ」の言葉だった。

そして、自らマイクを持ち「松尾あきひろ」はこの選挙戦、最後の街頭演説となる中野に向かう。途中、吉田はるみ衆議院議員の鮮烈な連呼を耳にしつつ、私も中野駅前に向かう。

荻窪に続き、中野に到着後、すぐに「松尾あきひろ」のチラシを配り始める。配りきるのは難しいと思っていた量を手にし配り始めるが、どんどん受け取ってもらいチラシの残数はぐんぐん減ってゆく。追加でもらわないと、そんなことを考えていたらスタッフが追加のチラシを持ってくる。全てが整っている、候補者である「松尾あきひろ」、そしてスタッフの全てが繋がっている瞬間を感じる。

小川淳也が絶叫している、政調会長が自ら駆けつけている。立憲民主党は絶対に「松尾あきひろ」を当選させなければいけない、その意思をしっかりと感じる。たくさんの、本当にたくさんの議員による応援演説を終え「松尾あきひろ」がマイクを持つ。常に冷静に、それでありながら熱を帯びた彼の演説は、この選挙戦で最高で最強のパフォーマンスを発揮する。中野駅前が揺れる。夏の選挙戦、この夏をさらに暑くさせたのは、「松尾あきひろ」の熱さだったと言うべきだろう。

20時でマイク収め、いわゆる選挙戦はここで終わるが、中野駅北口前から熱気が収まらない。気がつけば、ものすごくたくさんのボランティアが、この最期の地で自分と同じように活動にいそしんでいた。お互い名前も知らないけど、やりきったことを労う。

「松尾あきひろ」はこの場所に足を運んでくれた支援者、いや、とにかくその場で話を聞いてくれた有権者一人一人に感謝をして回る。

マイクを使っての選挙活動は20時までだけど、声かけは日にちが変わるその瞬間までできる。南口に移動して最後の最後まで頑張ろう、そう「松尾あきひろ」は告げ、活動はその後も続く。

はい、毎度のことだけど、このブログを書いているのが選挙運動ができるギリギリなので、もう書き終えなければならない。もはや、彼が国会で様々な法案作成に着手している姿しかイメージできない。「松尾あきひろ」は国会で働かなければならない存在である、そのことを書き記し、今回の参院選の活動を終えたい。