劇団フルタ丸、これからの15年が始まる


2017年6月15日水曜日、劇団フルタ丸十五周年記念公演『ノーマークだった6人』が下北沢「劇」小劇場にて初日を迎える。

劇団フルタ丸主催のフルタさんと出会ったのは5年前、下北沢つながりで紹介してもらったことが付き合いの始まりだけど、出会ったときと言うよりは彼のお芝居を実際に見終わった後から付き合いが始まったというほうが正しいかな。観たお芝居は劇団フルタ丸 十周年記念公演 『うつくしい革命』。手に汗握る展開なのに、途中で思いっきり肩すかしを食らい、見終わった後にこれまでに感じたことがなかったような余韻を感じる、そんな作品だった。端的に言って、衝撃的だった。

5年間でフルタさんが手がけたお芝居を何本も観ました。昨年の本公演ツアー、下北沢の後にフルタさんの地元である美濃市での本公演。なんとなく、自分の中では去年の本公演ツアーで劇団フルタ丸は完成した気分がどこかにあった。そして、なんとなく今年の本公演に対するモチベーションが上がらなかった。

シモブロに掲載したインタビューは4月末に行ったモノだ。

⇒ 劇団フルタ丸十五周年記念公演『ノーマークだった6人』

GW開けにアップする予定だったのに、やはりなんだかモチベーションが上がらず、ずるずると公開時期が延びて6月に入ってしまった。でも、改めてインタビューの内容を聴き直してみると、とんでもない内容をフルタさんが語っている。

フルタさん:『この6人で劇団フルタ丸と言い出してから5年が経って今思うのは、これまでの5年間を振り返ることよりもここからの15年間を劇団としてどのように活動していくのか、そのことばかり話しています』

これからの15年を考えている、、、この言葉に正直驚いた。15年後の自分たちを見据えて動く。完全に自分が想定していなかった回答だった。そして、フルタさんからはこちらが思っていることを見透かしたような言葉が続く。

フルタさん:『「ノーマークだった」というタイトルについて、これまでも公演ごとにタイトル案を出していますが、かなり前から「ノーマークだった」というワードを毎回思い出すように書いていました。なぜこの言葉に引きつけられたのか、有名と無名、その間に一本ある境界線、それはすべての表現者が超えたいライン。ノーマークじゃイヤなんです、マークされたいんです、注目されたいんです。注目されていることと注目されていない、売れていない立場にはずっとつきまとう景色なので、そのこともあってこの言葉が引っかかっていた。ポイントは『だった』の部分で、「ノーマークな6人」ではない。その線をどうやって乗り越えるのか、そういう意味では僕らのことでもあります。まだまだここでは終われないし、ここから15年間を見たときに今回が転機になってほしい。作品の内容に加えて、劇団フルタ丸としての意味もそこに入れています』

正直、「ハッ」とした。昨年の本公演で完成したと感じていたこと、それは劇団フルタ丸に対して本当に失礼な感覚だ。何も完成しちゃいないんだ。もちろん彼らの一つ一つの公演は完成した素晴らしい作品だけど、劇団フルタ丸はまだ完成しちゃいない。そもそも、完成なんて劇団にとってはあり得ない話だと改めて気づいた。

初日の幕が上がるのを3時間後に控え、どうしても今回の公演前に抱いていた自分の気持ちを書いておきたくなりました。これで、今後15年間俺は劇団フルタ丸を追いかけ続けられる。今日という日が、その15年の初日になります。